第33回 塩沼亮潤大阿闍梨
- 住 吉
- 住吉美紀がお届けしています、TOKYO FM「Blue Ocean」。今日の「Blue Ocean Professional supported by 協会けんぽ 健康サポート」のゲストは、金峯山修験本宗 慈眼寺 住職の塩沼亮潤大阿闍梨です。
- 塩 沼
- おはようございます。
- 住 吉
- 塩沼さんは、1日48km、16時間、険しい山道を歩き続ける修行を1000日間、およそ9年がかりで取り掛かる「千日回峰行」の達成者でいらっしゃいます。なんと、1300年の間に2人しか成功者がいない修行だそうですね。
- 塩 沼
- はい。1日48km歩きますのでなかなか皆さん挑戦できなくて。
- 住 吉
- すごいですよね。『歩くだけで不調が消える 歩行禅のすすめ』という本も出されていて、そこでは歩きながら自分を見つめ直す方法を伝授していらっしゃいます。まず、その「千日回峰行」とは、どんな行なのでしょうか?
- 塩 沼
- 全部で9年かかるんですけど、5月3日~9月初旬まで年間4ヶ月毎日、雨の日も風の日も絶対に休むことができない、もし万が一休む場合、これ以上前に進めないという場合には、短刀で切腹をして終わるという、伝統のある修行です。ですから、簡単には修行に入れない。そして体調はどうなるかというと、1ヶ月ほどで爪がぽろぽろと崩れてきます。3ヶ月ぐらいになると、梅雨明けと同時に血尿が1週間ぐらい続いて、あとは治まるんですけども、その血尿が出た後は、1ヶ月は馬力が出ないというか、走ろうと思っても走れない。16時間、同じ呼吸とリズムで48kmを歩きます。残りは8時間ですが、用意もありますので、大体4時間半ぐらいしか寝られませんね。本当に極限の中で修行します。
- 住 吉
- 食べ物はどういうものを?
- 塩 沼
- 山の中ですので、おにぎりを2つ持っていくんです。山頂まで1719mで、そこに山小屋があります。そこでご飯とお味噌汁をいただいて、また帰ってくると夕方の3時半ぐらいになっています。
- 住 吉
- 特定の山に登るんですか?
- 塩 沼
- そうです。毎日決められた道を同じようにルーティーンで登って帰ってくる。大体お寺の修行というのは、同じことを同じように繰り返しますね。なぜかというと、「悟る可能性がある」とお釈迦さんが言ったので、お寺では毎日同じことの繰り返しなんです。
- 住 吉
- 毎日同じことをルーティーンとして続けていくと、悟る可能性がある、ということが、お釈迦様の言葉として残っていると。
- 塩 沼
- はい。ただし、情熱を失うと悟る可能性はない、と。なので、今日より明日、明日より明後日、とずっと情熱のクオリティーを保っていかないと悟れない。ですから何事も、スポーツでも音楽でも、毎日同じことを練習しますよね。ただやっても成長はしません。毎日、初心忘るべからずといいますか、「今日も一から始めよう」という初心、これを忘れないと、全部上手くいくんですね。
- 住 吉
- その情熱を持って、毎日同じ山を登って下りるということを9年間続ける。これは、やってみないと想像もつかない世界だと思いますが、塩沼さんは千日回峰行の間、毎日日誌を書いていらしたそうですね。
- 塩 沼
- はい。
- 住 吉
- 終わった後に、ご自身もその心境や書いていることの変化ぶりに驚いたそうなんですが、どんな風に変化していくのか、その一部をご紹介します。
17日目
「行くか行かないかじゃない、行くだけなんだ。もし行かなけりゃあ、短刀で腹を切るしかない」
「行くか行かないかじゃない、行くだけなんだ。もし行かなけりゃあ、短刀で腹を切るしかない」
488日目
「左足痛い。腹痛い。たまりません。身体のふしぶしが痛い。生き地獄」
「左足痛い。腹痛い。たまりません。身体のふしぶしが痛い。生き地獄」
525日目
「心のもち方次第で幸せにもなるし、不幸にもなります。答えは心の中にあります。卑屈にならず、苦しみから逃げず、受け止めて乗り越える」
「心のもち方次第で幸せにもなるし、不幸にもなります。答えは心の中にあります。卑屈にならず、苦しみから逃げず、受け止めて乗り越える」
880日目
「苦しみの向こう、悲しみの向こうにはなにがあるのだろうかと思っていたが、そこにあったものは、それは感謝の心ただ一つ」
「苦しみの向こう、悲しみの向こうにはなにがあるのだろうかと思っていたが、そこにあったものは、それは感謝の心ただ一つ」
- 住 吉
- 前半は、辛いとか痛いという言葉が耳に残るんですけれども、後半になってくるとだんだん、感謝とか受け止めるというような言葉が目立つようになってきますね。
- 塩 沼
- 中間地点で高熱が続いて、1日1kgずつ痩せてきて、10日で11kgぐらい痩せてしまうという、本当に生きるか死ぬかの瀬戸際があったんです。もう死ぬかもしれないというぐらいの体調不良が続いて、そこでそれを乗り越えると、人間って何かが成長するのかわかりませんけれども、その後は感謝の気持ちで色々なものが受け取れるようになったといいますか…。山を見ていても草花を見ていても、その一つひとつから「何でこの山の中で綺麗に咲いているんだろう」とか「この花よりも自分は劣っているなあ」とか、色々なことを感謝と捉えてくるんですよね。
- 住 吉
- 1年に4ヶ月間歩かれて、それを9年間続けられたということですけど、その残りの8ヶ月間に関しても、過ごし方が変わったり、9年間で変化はありましたか?
- 塩 沼
- そうですね、山の中ではたった1人ですが、(8ヶ月間は)人間関係が生まれる修行道場での生活ですから、自分の体調の良い日、気持ちの良い日もありますけれども、相手がそうでもない日がある。そうなると、人間関係が崩れてしまいます。「どうしてこの人はこうなんだろう」と思ってしまうことはありませんか? イラッとしたり、ムッとしたり。そういうことにもだんだんと捉われなくなってきましたね。それは、ただ修行したからではなく、自分の中でイメージするんです。どんな人をも受け入れるだけの愛情、人間的な器が欲しいと願っていると、だんだんとそこに近づいてくるんですよね。