第118回 藤山直美さん
- 住 吉
- 住吉美紀がお届けしています、TOKYO FM「Blue Ocean」。今日の「Blue Ocean Professional supported by 協会けんぽ 健康サポート」のゲストは、女優の藤山直美さんです。
- 藤 山
- おはようございます。お願いします。
- 住 吉
-
藤山直美さんは、昭和の喜劇王・藤山寛美の三女として生まれ、なんと3歳でデビュー。以来、舞台、映画、テレビドラマで活躍。そして、新橋演舞場での公演『笑う門には福来たる 〜女興行師 吉本せい〜』が始まったばかりです。
3歳で舞台に立っていたということなので、演技の方も、俳優としてのお仕事も、自然に身についたのでしょうか? - 藤 山
- ごく普通に。学ばなければいけないとか、そういうのは全然なかったんですけども、偶然歌舞伎が好きで、歌舞伎を観始めて芝居が好きになりました。観る方が、ですけれども。
- 住 吉
- 自分も芝居の道に進みたいと意識したのはいつ頃でしたか?
- 藤 山
- うちのお父さんが亡くなったぐらいから、家業だから誰かがやっていかないとな、ということでやった感じかな。
- 住 吉
- おいくつぐらいの時ですか?
- 藤 山
- うちのお父さんが亡くなった時、私は31歳でした。
- 住 吉
- それでお父様と同じ道を進まれたんですね。そして、イメージですが、個性の強い役柄、人物が…。
- 藤 山
- 多いですね。女の人の一代記の話などは多いですね。
- 住 吉
- どうやって、その人物になっていくのでしょうか?
- 藤 山
- まずセリフを読んで、セリフを覚えて、立ち稽古して…と、コツコツやっていきます。急にその人物になるというのは無理ですし、たぶん吉本せいさんの生きていた時の方が私を見ると「吉本せいさんはそんな人ではなかった」と言われることは確実にあるとは思うんですけど、吉本せいさんらしくなればいいなと。
- 住 吉
- ここからは、健康や元気の秘密について伺っていきます。藤山さんは、2017年に初期の乳がんであることを公表されて、その後1年半ほどお仕事をお休みになり、治療に専念されていました。
- 藤 山
- ほとんど2年ですけれどもね。
- 住 吉
- 2年近く。最初に乳がんがわかった時は…。
- 藤 山
- 定期検査ですね。
- 住 吉
- どんなお気持ちだったか、覚えていらっしゃいますか?
- 藤 山
- 「それぐらいなるだろうな…体が疲れていたからな…」と思いました。
- 住 吉
- お忙しかったんですね。
- 藤 山
- はい。58歳でしたから、色々出てくるだろうなというのは思っていました。
- 住 吉
- その後、2年近くとおっしゃいましたが、治療されている間はどんなことを考えたり?
- 藤 山
- 家で普通に生活していました。母親と一緒に住んでいますので、ご飯を作ったり、洗濯したり、掃除したり、アイロンをかけたりして、普通の生活を繰り返していました。治療しながらですから、抗がん剤を打っている時はちょっと無理な時もあるんですけれども、普通に生活していました。
- 住 吉
- お仕事をお休みになる寂しさはありましたか?
- 藤 山
- ないです。それはそれで一旦区切りで、乳がんでお休みしているんだから、まずその病気をちゃんとむかえるというか、過ごしていかなければいけないというのがありますから。
- 住 吉
- その時期を経たからこそ、考えたことや発見したこと、感じたことなどはありましたか?
- 藤 山
- そうですね…でも私は妹も早い歳で病気で亡くしたり、甥っ子も亡くしたりしていますので、命ということに関しては意識を持っていたんですけれども、母親が今92歳で元気なんですよ。だから母親より先にはいけないなと思いましたね。